「北九州のハッピー娘」そう挨拶をしはじめて、もうすぐ1年が経とうとしている。2019年1月27日、門司赤煉瓦ホールにて行ったデビューアルバム「太陽と月」発売コンサート。この日にアーティスト波多野菜央は誕生した。
 幼い頃から所構わず気付けば歌っていた私は、4つ上の姉にうるさい!と言われることもしょっちゅうだった。ナルシストで目立ちたがり屋のおてんば娘。そう、そのキャラクターが全くぶれることなく成長し、今に至る。
 しかし昔と違う点が一つ。私は言葉の声を聞く力を手にいれた。会話の中、街中、夢の中、言葉達が私に訴えかけてくるのだ。光を放って私はここだよと教えてくれる。書きためたワードやフレーズを前にギターを抱え、音に乗せて感情を交えながら曲を作る。そうしてできた曲達はとんでもなく存在感とメッセージの強いものになる。この過程がたまらなく楽しく愛おしい。
 私が生まれ育った北九州市には、音楽と文化の血が脈々と受け継がれている。日本中を虜にした伝説のロックバンド、ルースターズやシーナ&ロケッツをはじめ、多くの作家やアーティストが輩出されてきた。残念ながらリアルタイムでの世代ではないが、芸術とは時を重ねるごとに色濃くなるもの。私は先輩方とそのファンの方が長い時間をかけて耕した北九カルチャーという土壌でたっぷりの栄養を吸い、のびのびと音楽を育てることができている。
 「おいらの街」も北九カルチャーの代表的な一つで、多くの北九っ子の思い出を彩った。令和元年、時を経て復活した「おい街」。ここにこうして私の特集を組んで頂き、更には記事を書かせて頂いていると、誰が予想できただろうか。
 そして、北九州の魅力の1つが”人”である。人情に厚く、人との繋がりを大切にし、困っている人は助けずにはいられない北九州人の人柄。「おい街」と波多野菜央を引き合わせてくれたのも、高野編集長と私のマネージャーの昔からの繋がりだ。
北九州という畑に芽を出せたこと、そして熱い方々に応援という水をまいて頂けることをとても嬉しく誇りに思う。これからどんな風にこの花を咲かせようか 、それは自分次第だ。とてもワクワクしている。
(文責/波多野菜央)


 波多野菜央のコラムを読んで驚いた方がいるかもしれない。この時代の23才になったばかりの女の子で、こんな文章が書けることに僕はまず驚いた。これは訓練して力をつけた文章力とは違う。天性の文章力である。表現力と起承転結が素晴らしい。単語(言葉)の選び方、言葉の持つ”気”をうまく散りばめて、物語となり抒情詩となっている。
 紙媒体の活字が見放されそうだ。ネットの書き込みが自由に出来ることが、いいのか、良くないのかを判断する前に、書き込みが出来ることがアイデンティティであると勘違いしている人がいる。それは良くない。そういう人はネットの中に敵を作り、ネットの中で戦っている。ネットの罠にはまってしまった悲しい人達よ。他人を見下すことで己を正統化するのが今の日本の政治の世界で差別の社会だ。貴方はその類と成りたいのか?
 波多野菜央の書いた文章を読んで、なんとヒューマニズムにあふれた世界観だろう‼と感動した。彼女の世界は癒しに、救いになる。偽善、妬み、不正、まやかし、ウソ、不潔…。グレーに嫌気がさした人達が溢れている。芸能界、政界、殺りすぎのスポーツ花形の裏にある不条理、不自然さ、金、苛めと躾のセクハラ、パワハラ。汚い言葉が氾濫し、腐心と慢心の迷路はグレーが重なり、黒々し、すっかり迷い込む。生か死かさえ解からない洞の中。
 彼女の陽射しに希望が湧く。清い遺伝子が活きているのを知る。その安堵感。僕の、そして貴方の遺伝子が浄化されて、笑っているのが見える。清い遺伝子が目を覚ます。実は、そんな歌を探していた。貴方の大切さ、人間の優しさを知りたい。そう、遺伝子が浄化する歌、音楽を。波多野菜央は、神業を知っているようだ。
(text:高野)
 ★読者の皆様へ‼波多野菜央の新曲を聴いてください。すごくいいですよ★